すずつきのLOGBOOK

書きたいときに更新するよ

夏季休業27日目_「カタカナ語、わかりにくくね?漢字、わかりやすくね?」を調べる。Ⅺ

こんばんは、すずつきです。

昨日書いた通り、何とか朝型にしようとした結果、7時半に起床し、9時まで運動することができました。結果として今現在、この時間帯に記事を書けているのですから、やはり、非常に朝型は有用だということがわかります。

ということで、久しぶりに本題に入りましょう。

前回の振り返りをしてみると"landscape"の訳語として、カタカナ語の「ランドスケープ」が当てられている中、「景築」や「景建」といった造語を勝手に作り、相応しいかどうか次回に検証するということにしました。

 

では、さっそく文字の検証をしていきましょう。

 

「景」

・ケイ
・キョウ(キヤウ)
・かげ
けしき。見渡される地上のありさま。
「景気・景色(けいしょく)(けしき)・景趣・景勝・風景・景・絶景・背景・近景・借景・情景・勝景・点景・殺風景」。また、演劇などにおける場面。「二幕五景」。ふぜいをそえるもの。
「景品」
 

「築」

・チク
・きずく つく
土をつきかためて、基礎をつくる。建造物をたてる。つく。きずく。
「築城・築港・築邸・築造・築七年・造築・構築・建築・新築・移築・修築・改築・増築」

 

「建」

・ケン
・コン
・たてる
・たつ
しっかり打ち立てる。設ける。
「建造・建設・建築・建国・創建・再建・封建・土建」
 
Oxford Languagesの定義からgoogle検索より引用
 

ランドスケープはk;lじゃfds;ljかdfsklj;亜sd;kjぁdfs;lkじゃdfsklj;亜fds;jヵfdsk;lじゃdfskj;ぁdfskjl;ふぁdslkj;だsflkjfだslkjdさlkjdsflkjこんばんは、すずつきです。

 

昨日書いた通り、何とか朝型にしようとした結果、7時半に起床し、9時まで運動することができました。結果として今現在、この時間帯に記事を書けているのですから、やはり、非常に朝型は有用だということがわかります。

 

ということで、久しぶりに本題に入りましょう。

 

前回の振り返りをしてみると"landscape"の訳語として、カタカナ語の「ランドスケープ」が当てられている中、「景築」や「景建」といった造語を勝手に作り、相応しいかどうか次回に検証するということにしました。

 

 

 

では、さっそく文字の検証をしていきましょう。

 

 

 

「景」

 

・ケイ

・キョウ(キヤウ)

・かげ

けしき。見渡される地上のありさま。

「景気・景色(けいしょく)(けしき)・景趣・景勝・風景・景・絶景・背景・近景・借景・情景・勝景・点景・殺風景」。また、演劇などにおける場面。「二幕五景」。ふぜいをそえるもの。

「景品」

 

「築」

 

・チク

・きずく つく

土をつきかためて、基礎をつくる。建造物をたてる。つく。きずく。

「築城・築港・築邸・築造・築七年・造築・構築・建築・新築・移築・修築・改築・増築」

 

 

「建」

 

・ケン

・コン

・たてる

・たつ

しっかり打ち立てる。設ける。

「建造・建設・建築・建国・創建・再建・封建・土建」

 

Oxford Languagesの定義からgoogle検索より引用

 

ここで改めて、言っておくとランドスケープは地形や景色を人為的に操作して創り出す事です。建築は一度地面を均してから平らな場所に新たに建てるものであるので、そこに違いが生まれると思います。

建と築どっちがふさわしいかと言えば、ランドスケープデザインは土木とも近いのでどちらかと言えば「きずく」という意味を持つ「景築」が近いのかなと思いました。

実は土木や建築の中間にも位置しているので、建築をモノではなく動詞と解釈すると「景建築」の方が近いかもしれませんね。

建築はその語の意味に「芸術」という意味も含めます。ランドスケープも当然、芸術を包括するので二文字に収めるよりもこの文字の方が適切そうです。

意味的にも「景色を築く、建てる」みたいななんだなとモノを知らなくてもイメージできそうです。

 

完全に建築やらランドスケープやらに話題を振っていましたが、今回の話の本筋はカタカナ語と漢字の伝わりやすさの違いでした。

ここまで意味を知り、新たな漢字の訳を作ってみました。ではここで、新たな疑問が生まれてきます。それは普及するかどうかです。

 

法律ではカタカナ語を使わないように表記するらしいですが、現代日本において、このような「景建築」という言葉が通用するでしょうか。明治期と比べ、カタカナ語は圧倒的に社会に浸透し、逆に漢字は國が国になったりと簡易化されている世の中であることは間違いありません。

言葉の認知度が上がり、使われるということは、知識階級だけでなく、より大衆に広がることを意味します。つまり、言葉の重厚さは認知度を上げるためには大衆にとって障壁となるのです。

 

従って、かなり遠回りしましたが、認知に必要な言葉のフレンドリーさが、現代日本では「カタカナ」という形態に憑依して、これまでの例で言えば「ランドスケープ」となっているのでしょう。

 

明日は軽くまとめてこれでこのシリーズは終了したいと思ってます。

 

といいつつ1時と言う...(書き始めたのは21時だったんですよ!)

なんだかんだあり、他のこともしていたのでこの時間になってしまいましたね。

 

あしたも朝型ニンゲン続けるため、頑張ります!(絶対に朝活とは言わない意志)

それでは、おやすみなさい。

 

PS:ほかのことというのは洗濯物やモニターの設置などいろいろあったもので....